問2.日々我れ

すきなことをかく

永遠―『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』より

ようやく書きたかったことを書こうと思う。図書館の返却期限は明日に迫ってしまった。笹井のその他歌集やこの作品集そのものについてはおいておくとして、とりあえずわたしはこの歌が気になって仕方ない。好きな作品かと言われると、正直そうでもない。なぜか考えてしまう。たしかに私はこの歌をつかみそこねている。だから考えてしまうのだ。

はじめに

えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい*1

先日借りた笹井宏之の作品集『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』(以下『えーえんと』と表記)の表題にもなっている作品が上記の引用である。

笹井は26歳にしてこの世を去った。作品集は第一歌集『ひとさらい』の次に出版されている。今のところこの作品集と3冊の歌集が出版されている模様*2

えーえんとくちから・1

えーえんとくちからえーえんとくちから

まず私はこの最初のひらがな表記につまずいてしまった。短歌の意図的なひらがな表記なんてまったく珍しいことではない。しかし、わたしはこのかたまりをみてこの歌から見える世界(観)の分節を見失ってしまった。

初見で「えーえんとくちから」が「えーえん/と/くちから」に思えた。「えーえん」と声をあげて泣く姿のように思われた。それが反復した後

永遠解く力をください

に着地してしまう。えーえんと泣く姿から突然「願い」に帰結してしまい、しかも奇妙なお願いごとだ、わたしは上の句と下の句をつなげるための世界の区切りをなくしてしまった。

永遠解く力

「えーえんとくちから」を心の中で反芻しつつ、先に「永遠解く力をください」について考え始めた。

まず「永遠」というものに対して人は、その状態が持続することを願う。しかしここでは永遠が終わることを望んでいる。

ここでイメージできるのは、永遠の回帰性、円環のようなものがもつ閉じられた場所ではないか。「解く」ためにはその対象が閉じられている必要がある。永遠は時間の延長であるとともに、終わりがないところから、封じられた空間性をイメージさせる。

区切り―えーえんとくちから・2

下の句が少しイメージ出来た所で再び「えーえんとくちから」。

私の中ではどうしても泣く姿以外に思い浮かばないのでここでとっかかりを得るために、初心に戻って、音を区切ってみる。

この歌を「5・7・5・7・7」に区切っていくと「えーえんと/くちからえーえん/とくちから/えいえんとくち/からをください」

3句目を見ると、「とくちから」と区切れるのでこの時点で「解く力」と読んでいいような気がする。

ひらがな表記

ここで気になってくるのが(きっと最初から気になっていたことだが)「えーえん」のひらがな表記である。

永遠にふりがなをつけるなら「えいえん」である。ひらがな表記で間違いなく読者に「永遠」と読ませるならば、「えいえん」とするだろう。しかしここでは「えーえん」としているのは、やはり意図があるに違いない。

そこでやはり私は「えーえん」を泣いてる姿として解釈したい。「えーえん」という声が「口から」出ていく。「「えーえんと/くちから・えーえん/とくちから」と区切る。そして2句目の「えーえん」は3句目の「解く力」がうけるので永遠と読んでみる。イメージとしては永遠から閉じた場所から出ようと泣いている姿。ここからいっきに物語が広がりそうだ。

ちなみにこの解釈を歌にきちんと反映させると、このような表記になる。

「えーえんと口から 永遠解く力 永遠解く力をください」

ただこの表記だと面白くない、というか物語になんだか奥行きが出ない。そもそもつまづけない。

それから

とここまでだらだら書いては見た。永遠は「えいえん」であるが「エーエン」と発音するので、やっぱり最初から永遠なのかもしれない。

とりあえず歌に物語がみいだせたところでいったんおわり。

 

えーえんとくちから 笹井宏之作品集

えーえんとくちから 笹井宏之作品集

 

 

*1:笹井宏之『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』、PARCO出版、2011年、5頁より引用

*2:笹井宏之 - Wikipedia

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