問2.日々我れ

すきなことをかく

かつて-そこに-あった (テーマ:B 写真)【第1回】短編小説の集い

【第1回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - 短編小説の集い「のべらっくす」

 

ロラン・バルト『明るい部屋』に敬意を表して〜


「かつて-そこに-あった」

 

「ねえ先輩、何食べましょう?」

「好きなもん食べな」

上司と食事に行った定食屋はカフェのような外観で、帰宅途中の会社員が気軽に立ち寄るようなところではなかった。なんでも地元のフリーペーパーにはデートスポットとして紹介されているらしい。

「じゃあー、タコライスで」

「マジでそんなんでいいの。したら、お姉さん呼ぶわ」

上司はテーブルのそばを通った店員を呼び止めると、まずステーキ定食を頼んだ。

「あとタコライス」「本日のタコライスが雑穀米を使用したものしかお出しできませんがよろしいですか」「いや、大丈夫です」「では雑穀米のタコライスですね」

店員はオーダーを繰り返すと、そのままキッチンのほうへ消えていった。

「それにしても、こんな店よく知ってましたね」

週末ということもあって、店内は若い女性たちでにぎわっている。カップルの姿はこの席からは見当たらない。

「改装前がよかったんだよ」

上司はスマホをいじりながら鼻の頭をさわる。先ほど注がれたグラスの水はいつのまにか空になっていた。

「――いやいやなんでいま連れてくるんですか」

おかしいでしょ、先輩水注ぎますねと声をかけると、上司はこちらの質問に答えず、多いな人とつぶやいた。


「まだ来ませんね」

「何分経った」

「えーっとー、さっき聞いてから10分、頼んでからは30分ぐらいです」

上司は大げさにため息をついてみせると、またグラスの水を空にする。

「先輩絶対水好きでしょ。5杯目です」

「んなことないから、アホ」

上司は再びスマホを取り出し鼻の頭をかく。左頬にはほんの小さくニキビがある。

「なんか面白いことありました? 」

「や、別に。電子書籍にはまってる」

「何読むんですか」

「いまは『明るい部屋』」

「あー、あんま本読まないからわかんないです」

店内は先ほどよりもさらに混んでいて、それでも相変わらずカップルの姿は見えない。店の名の通りほの暗い店内で壁にかかった薄汚れている鳩時計はピッポピッポと不規則に時間を告げる。この席はキッチンの死角になっているのではないかと思ったが、こちらからキッチンがばっちり見えている以上そんなことはないとすぐに思い直した。

タコライスってなんでタコライスなんですかね」

タコライスのことも知らないでタコライス頼んだわけ?」

上司はスマホから目を離さず言う。

タコライスは知ってます。でも」「わからないことはすぐに調べる」

上司はフリック入力で、た、こ、ら、い、す、と打っていた。

タコライスとは、タコ」

「お待たせいたしました、こちらステーキ定食です」

先ほどオーダーを取りに来た店員はテーブルに素早くセットを並べていく。

「ごゆっくりお召し上がり下さい」

タコライスは?」

「えっ、あ、少々お待ちください」

顔色を変えた店員がさっと奥へ引っ込むと、上司はステーキを切り分け始めた。

「これはない感じですかね」

「オーダーミスかも」

「ああ、タコライスよ。汝、このとき我が空腹を満たしたまえ」

結局その後タコライスがテーブルに運ばれることはなかった。

運ないな、と店を出るなり上司は笑う。なんかおごってくださいよこんど、ほんとに、と語気を強めて早足になるこちらにむかって上司は少し目を細めすっと右手を出す。寒いと唇がうごく。こちらは仕方なくその手をにぎる。

「早く手袋買って下さい」

上司の手は10月末とはいえ、凍ってしまったみたいに冷たい。

「あのさー、ああいうとこいくとみんな料理の写真撮るじゃん」

「はい」

「あれがいや」

「先輩の嫌いなフェイスブックにアップするからですか」

「うーん。ていうよりカメラのシャッター音が嫌」

夜の空気は冷たくて、上司の顔はうつむきがちである。

「シャッターの音ってなんか処刑されそう」

「それってカメラが嫌なのでは」

「いや、そもそも写っているのはもうここにはないものなわけよ。たとえば、こないだ行ったみたいな、なんでもない日に高台から夕焼けを見て、はっとするほど生々しく心に広がった波も写真になってしまえばそれはもうここにない。好きなものも好きだったものになってしまう」

たしかにあの夕焼けはきれいでしたねと、どんどん冷えていってしまう上司の手をつよくにぎりしめる。

「でも、かつて、ではだめなんですか」

いつも悪態をついているだけのフェイスブックなんかさっさとやめてしまえばいいと思いながらそう尋ねると、いつになく饒舌だった上司は顔を上げてこちらを少しの間見つめると、すこし悲しげな顔をして、わかんないとうつむいた。

ようやく上司と別れる人通りの少ない交差点にきた。ここから上司は西の方角へむかう。

「だから、自分の名前も嫌い」

「え、いい名前だと思いますけどね」

上司はさっとこちらの手を離すと、じゃ、小さく唇を動かして歩いて行ってしまった。

以上が、上司がきれいさっぱり姿を消してしまうまでにあったほんの一週間前の出来事である。職場のデスクにはあの店で食べられなかったはずのタコライスと上司の腕が写り込んだ写真が一枚、残されていた。裏には From Raika.  と書き残して。


明るい部屋―写真についての覚書

明るい部屋―写真についての覚書

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