問2.日々我れ

すきなことをかく

物語の

-日誌

たとえば、私はこのブログを「社会人2年目、会社勤め」という設定で書いているが、実際のところこれは真実であるか疑わしい。いつからか「信用できない語り手」というものにひどく憧れを抱いており、そのせいで事実は歪曲されているのかもしれない。

真実とは本当のところいったいなんであるのかわからない、というのはリーガル・ハイのテーマでもあるのだが、この脚本家が、真実は白日のもと明らかにせねばならないことが信条である杉下右京の登場する相棒の脚本も書いていたことを知った時、わたしは驚きを禁じ得なかった。以前この二つについて論じた記事を読んだ記憶があるのだが、今検索してもひっかからなかった。

この「真実不明」という前者のテーマが進んでいくために必要とするのは、物語の力である。事実から、というよりもひとつの事柄から、あらゆる解釈をひっぱりだし、自分の主張にとって都合のいいエピソードに書き換え利用していく。正しさとは常に自分の側にあって、物語はそれを肯定する*1。人々は物語を読み込み、うながされ、共有し、あるいは拒絶する。

今日は定義や文脈に関するブログ記事をいくつか読んで、それにたいする自分の応答を考えていた*2のだけど、ながくなったのでおわり。

明日は2時間ぐらい電車にのるので、『寓話』を持ち込む予定。

 

 

 

*1:物語というと大きな物語と小さな物語について、一時期私の周りでブームになったのだが、最近はとんとそんな話も聞かなくなった。

*2:ここに脚注を書きますいかんせん言論空間であるところのネットにはミリョクテキなトピックスが多すぎる。言葉や解釈、コンテキストについておもわず反応してしまう

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