問2.日々我れ

すきなことをかく

ついに

いくつかの話題が通り過ぎていったので、ついにそういう話題について書く。

私は立派な活字中毒であるが、私はわたしのために本を読むので、私は本を読むのが好きだ。その結果として、他者の役に立ったりすることもある。読書という行為の因果関係は常にわたしを起点としており、わたしが読まないことにはその後のことは展開しない。

私が信頼している読書家、というのはおすすめしている本にハズレが限りなく少ない人のことをここでは指すが、彼ら彼女らも自身のために本を読んでおり、ゆえに彼ら彼女らのすすめる本は面白い、と結論づけている。勝手に。

私はピンクが嫌いだった。小さい頃から。唯一許せるのはさくらの花びらぐらいの淡いピンクで、それですら身につけることを拒んだ。加えて赤色も好きではなかった。リボンだとかフリルだとかも私に属していなかったし、スカートだってほとんど履いたことがなかった。

ズボンを履いたほうがドッジボールをするのに都合が良かったし、上等な格好をするのはそれ自体が記号的なハレの日のものだった。

 進学すると制服はセーラー服だった。スカートも履いた。慣れてしまえば、私がわたしであることに変わりはなく、与えられた記号は学生だったので、毎朝チャリンコをぶっ飛ばしながら通学した。

私はわたしであったのであまり気にすることなくそれまで生きてきたが、大学生になり、サークルに入ってからようやく、私は自身が記号的に女性として受容されることを認識した。と同時に社会的な構造の中で生物的性(sex)が社会的記号に転化することをおぼろげながら理解した。それでも私は自身が女性的役割を担わされることに実感がわかないままここまできている。

もしかして、私の性的対象は同性であるかもしれないと、不確かながら、しかしはっきりと思うことがある。しかしそれが事実どうであるかはやはり確かめたこともないし、長きにわたって連れ添い、これからも連れ添うであろう異性のパートナーがいる今となっては確かめようもないことでもある。

いや、確かめることも可能ではあるが、選ばないことによって私は可能世界のひとつを現実化させることを諦める。

社会人になって通勤服にある程度の制約が設けられてから、私はトラディショナルでコンサバティブな女性性を表象する衣服をまとっているが、けっして慣れることはなく、むしろまったくもって自分ではないと思っている。毎日自分ではないものに変身しているようで、しかし意外とこの状態が気に入っている。私は仮面をかぶることで社会から身を守る。社会にひそむ陰の組織員のような気持ちで、いつかわたしの小さな社会をひっくり返してやろうと思っている。

現状、仮面をかぶることで私はおそらく圧倒的に生きやすくなった。仮面をかぶっても私はわたしを保っていられるからではある。しかし単に私の選択した仮面は反社会的なものではなかったという側面を持ちうる。私は運がよく、恵まれており、それすら隠して仮面をかぶっている。そしてそのことはまったく隠しきれてはいないので、私はおそらく反感をかっており、いまこのときですら、憎悪の対象であるが、それでも私はわたしを保っていられる。

 それからもし仮面をかぶることが推奨されない社会に生まれたら私は確実に生きていけなかっただろう。

仮面の解釈学

仮面の解釈学

 

 

 

atuihiga tudukanakutemo okaradani okiotukete chihoutosiyori (c)Imada_Natsuki