問2.日々我れ

すきなことをかく

というのを

「恋人へさみしいという代わりにセックスしたいと言う」という文章をあるブログで目にし、口にはしないがなんとなくわかるような気がする。「さみしさと起点とする性的欲求は、自己によって自尊心をみたせないために、他者の承認を求める」みたいなことを言ってみるがそれは理屈ではあるがそのこと自体を言い当ててはいないと思う。

私はネットで官能小説を読むのが好きだが、先日読んでいた小説の中で「体の大きい人はどこもかしこも大きいのだ」という文章を見かけてしまい、ここから一気に読み手の気分はコメディになってしまって、某坂口さんにあやまれ!と思った*1。理想化されることは大変なことだと知人ならいうだろう。

というのを今朝ズイショさんの記事*2を読みながら思っていたのだが、それよりも先に思い出したのは高校の時の英語教師で、この先生は至宝とまで呼ばれるような受験英語の指導力に長けた教師であったが、私が受験生だった頃には定年を迎える歳であった。先生、というよりかは教師という感じであり、いかにして受験英語を修得するかについて忍耐強く繰り返し語るのだが、ある日「英文を読むときは、パラグラフに対する自分のセンサーをビンビンにして!」ともっと低音にした杉下右京のような口調で強調するものだから、私は嫌悪感を通り越して可笑しくなってしまい、ひたすらニヤニヤする口元を隠すのに必死だった。ビンビンて。もっとええ言葉あったやろとヨギータばりのツッコミが心のなかに吹き荒れた。
余談ではあるがこの教師は日本語に対する感覚があまりビンビンでなかったのか、「このことは現代社会の変革を遂げつつある」という和文英訳に、現在完了進行形を使ったわたしの説明を「それは考え過ぎだ」と一蹴したことがある。そしてわたしは未だになぜこの英文を現在進行形で表すのか理解していない。

ビンビンに話を戻すとわたしの中ではフォルムと手触りがミミズに直結してしまうのもよくない。それでいてしなやかさに欠ける。強い力を加えたら折れてしまうようなそんな力の入れ方は好ましくないのである。

*1:坂口憲二 - Wikipedia 現在の版をみたらかつての記述がなくなっていたので、だいぶさかのぼって探すことになった。

*2:男は女を救えない、なぜなら思い描くハッピーエンドが異なるから。 - ←ズイショ→

atuihiga tudukanakutemo okaradani okiotukete chihoutosiyori (c)Imada_Natsuki