問2.日々我れ

すきなことをかく

夜との親和性について

なんだか、の続きを書こうとすると、たいてい弱音になってしまう。

書いては消し、書いては消し、見つからない言葉の前で右往左往している。

ワンピースの下のタイツを脱ぎ捨てた、明け方のリビング、今は真冬で、

パソコンの前で食べる明治スーパーエッセンシャルの蓋の下に

つけられたビニールのふたは

なんのためにあるのか考えあぐねている夜(よ)。

笹枝ゆき「夜D/6」

夜と詩の相性の良さは格別だとおもう、個人的に。夜がやってくる感じは異界がやってくる感じであり、それを眠ることによって回避するための「おやすみ」というあいさつは「さよなら」と同義だとおもう。もっとも「おやすみ」が「さよなら」みたいに聞こえるのはもっと別の所にあるとほんとのところでは思っていて、眠ることは死ぬことみたいだ、って思ってる死生観(いまはまだこの言葉をおおげさなものとしてしかとらえることが出来ない)にある。

小学生の頃は6年間の間に20時→21時→22時という順で就寝時間が伸びてゆき、中学生の頃は一貫して23時だった。
だから小学生の頃は、同級生がSMAP×SMAPを見ているという話を聞いただけで驚いたし、眠れない夜なんかは眠るための時間を無駄にしているような怖さを味わっていた。

幼稚園の頃一度だけ遠方に済む親戚の法事から戻った時、時計が11を指しているのを見て、まったくもって異世界にきてしまったと思った。そのあとの記憶はない。

高校生の時に初めて自分の意志で翌日に就寝した。その時私は詩、というかポエムを大量生産しており、まだ小説は書いていなかった。もちろん学校には行かなかった。
オールをしたのは大学生のサークル旅行のときで、あとにもさきにもたった1回である。思ったより身体は軽く、前日には真夏の炎天下のもと、サファリ・パークを延々と歩き続けたはずだったのだが、バスの中でも、ハイテンション、ハイテンションハイテンションハイテンション……

基本的に寝るのは好きだけど、でも眠ることは苦手。自分でも下手なのだと自覚している。
それでさっき薬物をキメるエントリを読んだのだけど、金縛りにあってるときと似てるな、と思った。金縛りはオカルトではなくて身体的反応であるから毎日のように体験することもある。目を閉じている時にはものすごい重低音と暗闇の中で渦巻き通り過ぎるサイケな光。明るいところではそのまま現実世界が夢の世界へ落とし込まれ、切れ目なく徐々に歪な物語が展開していく。
基本的には嵐がすぎるのを待つ戦法でいくのだけど、金縛りにはひとつ問題があって、それは呼吸困難になることだ。息苦しいだけなら、いつものようにそのまま眠りを待つだけだが、気道が狭まっていく感覚には毎度死を覚える。

わたしの身近な人はあまり金縛りになったことがないようで、パートーナーだけが継続的な経験者である。しかしながら金縛りの話題はオカルトチックに思われてしまうから基本的に回避しているる話題である。

atuihiga tudukanakutemo okaradani okiotukete chihoutosiyori (c)Imada_Natsuki