問2.日々我れ

すきなことをかく

仁王だつ母が履くのは誤って漂白されたチノパンである

すごいなぁ短歌、と続々投稿されている記事を見て思う。短歌を作るのは初めてです、という方々がきちんと57577で形になっているのも美しい。短歌はひどく難しくないのにきちんと作品になるから、定形の強みだと思う。

以前から短歌とはなにか、良き短歌とはなにか、というまるで短歌の倫理学的なことを考えており、それは自分の中で「物語の延長性」であるとはっきり結論づけられているのだけど、この延長性は短歌中の「不在」によってもたらされやすく、不在をいれこむことにより短歌は短歌っぽくなる一方で、解釈を読者に委ねすぎる面もようしており、その是非は問われるところではあるが、個人的にこの不在なるもののさじ加減は正直好みとセンスかなとも思っている。

短歌でも川柳でも自由律でもいいのだけど、リズムをもつことばというものはおもしろい、私は文章を書くとき実はリズム重視だ、流すとこととひっかけるところを実はリズムで考えている、そして今テレビの前で仁王立ちになっている母は私のチノパンを履いている。そのチノパンはあやまって漂白されてしまったチノパンである。

日誌

今日は友人とご飯を食べに行って、とてもよかった。お互いに近況報告をして、しんどいなぁと笑って話せるぐらいに自分自身は回復した。おたがいマンガをおすすめしあって、マンガであればお互いがお互いの好きなものをおすすめし合える、そういう仲であることに今更気づいた、

帰宅途中

在学中は関係がこじれたこともあったけど、仲直り出来てよかったと思いながら帰った。

 

atuihiga tudukanakutemo okaradani okiotukete chihoutosiyori (c)Imada_Natsuki