問2.日々我れ

すきなことをかく

独り言を他人に話しかける作業・21

私は地味に創作歴を積み重ねているのだけど、おうおうにして言われてきたのが「わかりにくい」「難しい」「感想にこまる」ということで、その頃おもに書いていたのが詩と短歌であったが、小説においてもだいたいその傾向を見せており、私は合評会等で相手の困惑した苦笑を前に曖昧な笑みを返すだけだった。

30人いれば2人もあげぽよになってくれればいいほうで、それは15人に1人でもいいのではないかという声も聞こえてきそうだが、15人だと1人いるかわからない、17人いれば1人いてほしい、これが100人いたら何人になるんだろう。ちょっとめんどくさいのでその過程は省略するが、自意識過剰な学生時代なんかはとくにそんな感じで曖昧な笑みでした。

だから短歌の記事におきまして引用スターじゃんがじゃんがじゃんがじゃんがつけていただけることは無上の喜び、恐悦至極に存じ奉ります。

「短歌の目」主催の卯野さんがたしか(ご自身のツイッターで)おっしゃっていた短歌は英語翻訳する感じ、わたしにとってはまさにそれで、現実世界を言語に落としこむ、現実世界に言語が割り込む、そういうダイナミックでドラマティックでファンタスティックバーバルフィジカル、はい途中からおもしろくなってふざけましたもうしわけありません。

ひねくれていくのはそうでもしないと自分が満足できないからで、そうするとこんどは共有できなくなっていく、それなら自分の楽しい方をとるわがままさの優先があるわけですが、そういう折り合いのつけどころが短歌には見出しやすい、のかもしれませんわたしにとっては。

それで話は結局おんなじことになるんだけど、わたしは書くことが好きで、それは結構小さい頃から、でもかつて小学校高学年の作文では「と私はこのように思ったが、こんなふうに書いたところで等身大の小学生像にかなった作文ではないし、そうであるならもっとこういうふうに書くべきだ」とかなんとか書いた記憶すらあるし、加えて腹立たしかったのは、高校の時の文芸部の県大会(文芸部にも全国大会がある)で、講師による講評が「あなたたちは高校生なのだから、自分の性別と年齢にあわせた等身大の高校生を主人公にした作品を書きなさい」というもので、課題作品ならまだしも自由課題でそんなことを言われにゃならんのか!!みたいなこともあったのだけど(今思い出しても真意をはかりかねる)、それでもなんで好きなのか考えてみると、現実世界の割れ目、が書きたくて、恩師はかつて「現実世界はあまりにも制限がなくこのままでは生きていくことが出来ないからシステムやフィクションが導入されていて、たとえば気が狂うというようなことは現実世界の裂け目に入り込んでしまっているのかもしれない」という言葉を念頭に置きながら、もっと簡単な次元で、例えば夜中の路上、マンホールの上に果物のキウイが1個落ちていたとか日中見かけたスプレーででっかく背骨と落書きされた電信柱のこととか、春の匂いに街が染められつつあることとか、夏の信じられないくらい青い空が実はもっと青いかもしれないこととか、そういう気づいたら確かにあったけれど信じられないくらい不確かなことを書きたいし優先的に書く。

それが現実世界の割れ目であるかはわからないけど、ひび割れぐらいではあるだろうからわたしが日々我れであることでそういうことをただ書いていけたらいいと思う。

文字数に制限がきたのでおわります。礼

atuihiga tudukanakutemo okaradani okiotukete chihoutosiyori (c)Imada_Natsuki